モノと向き合うと、自分が見つかる

時代が刻々と変わっている最中だと感じます。大量生産大量消費からの脱却が見えてきて、テクノロジーのさらなる進化で社会はますます人間から離れていきます。多様な価値観がある一方で、自分の周りには自分と同じような考えの人が集まる現象も顕著になりそうです。

生き残るために変化に対応することは必須で、新しいものに拒否感ばかり示していてもしょうがないので受け入れる方がいいんでしょうが、自分というものをしっかり持っていることが、この先幸せに生きるポイントかなと漠然と考えています。

そして、自分を見つめ直すには、モノとの付き合い方を変えるのが手っ取り早い気がしています。

モノを減らし始めた時期ときっかけ

ミニマリストによる影響から、むやみに買わないことを心がけ、不要なものは早めに処分するようになって、ようやく4年ぐらい経ちます。

長男が生まれた6年前は、まったくこの域に達しておらず、

赤ちゃんにはあれもいるこれもいる、こんな便利なモノがあるなら揃えなくちゃ、栄養のあるものを食べさせないと、などと、増やすことばかりを考えていました。ついでに、子どもと一緒に活動しやすい服とか便利な家電にも興味があり、今から思うと、何をそんなに不安に感じていたのか、何がそんなにストレスだったのか、と不思議なくらい。子どものためにも色々ある方がいいと思っていました。

実家もモノが多く、昔のモノも大切にとっておく方なので、その影響もあったのかもしれません。モノがある=豊か、という図式を信じていたような気がします。

それまでテレビでミニマリストのがらんとした部屋を見ても他人事だったのに、長男が産まれて生活が窮屈になりはじめ、長女が生まれる頃には思うようにならないことが増えてストレスMAX。なんだか私、身動き取れなくなってない?と気づいてどうにかしたくて、ミニマリストやミニマルライフのことをひたすら調べ始めたのがはじまりでした。

モノを減らしても、気持ちはまだ物質主義のままだった

生きていくのに必要なモノって、そもそもそんなに多くないということにすら気がついていませんでした。生活するにはモノがいるからお金がいる。あれも欲しいこれも欲しい状態。美味しいものも食べたいし旅行もしたい。欲まみれでした。

そんな中知った新しい価値観。

佐々木 典士さんの、「ぼくたちに、もうモノは必要ない。 – 断捨離からミニマリストへ -」を読み、捨て始めました。(並行して他の方のブログなども読み漁りました…)

ミニマリストのように、自分の適量までモノを減らすことに憧れつつ、ある程度身軽になったところで停滞。無意識にモノを買ってしまうこともありました。

その頃処分したのは、卒業アルバム、プリ帳(プリクラの貼ってある手帳やノート)、ペーパーアイテム、アクセ、衣類、食器、キッチンツール、収納ケース、家電、車…。ボンボン処分しました。

ゴミをたくさん出す辛さや、処分のため売ったり誰かにあげたりする手間、嫌な思い出いい思い出、高かったものを使いこなせてなかった残念さ、貰った時の感情やくれた人の想いなど、さまさまな気持ちが錯綜し、処分しおわったときのスッキリさはたまらなかったことをおぼえています。自分についていた余計な脂肪が落ちていく感覚、それこそダイエットに成功したような達成感でした。

それでもモノを減らし始めた頃は、代わりにいいモノを買いたい欲もありました。着ないダウンをメルカリで売ったあとに、お金貯めてモンクレール買おう♪などと思っていたり(雪国でもないからいらない。フェザーのために鳥がたくさん死んでいる当たり前に気づいてなんだか買う気にならなくなった)、バルミューダのトースターが欲しいなと思っていたり。

ようやくこのごろ、ないとこに慣れて、そういうモノが欲しい気持ちが減りました。

広告を扱う難しさ

モノを捨て始めたころ、仕事では広告を扱っていました。

どちらかというと教育機関のものが多かったので、いらないモノを買わせる、という感覚にならずに済みましたが、それこそ雑貨やおもちゃ、衣類関連だったら広告を扱うことに躊躇いしか感じなくなっていたかもしれません。

どんなにいいサービスや商品でも、知ってもらわないと人の手には届きません。サービスや商品に込められた想いやそれを使うことで起こるハッピーな生活を、言葉や視覚などを使ってアピールするのが、広告。今でも広告自体を、否定することはありません。

自分がいいと思わなくても、他の人にとっては、とてもいいものの可能性もあります。ただ、自分が明らかに納得してないモノを広めることはいくら仕事であっても、いくらお金をもらっても、できないな、とこのころから思い始めました。

今は広告自体を扱うことが少なくなったこともあり、自分がおかしいと思ったり好きではないようなものを扱うことはなくなりました。

もう一段深く、モノとの付き合い方を考えるように

ちょっとでも油断するとモノが増えて、自分の思考もモヤモヤしてきます。(禅の修行でもしたら変わりそう)

先日は書類関係とほぼ使っていなかったミキサー、包丁2本(まだ2本ある)、いただきものの写真立て、カラカラの絵の具と筆、多すぎる保冷剤を処分しました。

心地よい生活を維持するために、気をつけていることは、こちらです。

・子どもの作品はとっておかない。本人に確認して定期的に処分。忘れてそうだなと思うと勝手に捨てることもあります。

・欲しいモノと必要なモノを混合しない。欲しいモノは後回し。必要なモノも、別の何かで代用できないか考える。

・欲しいもののうち、嵩張るもの、作り手の想いがなさそうなもの、あったら便利なもの、は極力買わない。まだ失敗もしますが。

・食料を買いすぎない。冷凍庫はできるだけ使わない。実際に、冷凍庫には氷と粉物の保管ぐらいしかしていません。ストックは基本水のみ。乾物と缶詰は、少しストックするようにしています。

・買ったら大切に使う。でも、違うなと思ったら誰かにあげたりすぐに手放す。

・モノより体験に時間とお金を使う。

モノを維持管理する手間ひまをかけれる人は、モノがあってもいいのかもしれませんが、私は、ズボラなのでモノがない方が生活しやすくて向いているとつくづく感じています。

モノが少ないと起こること

モノが減ると、当たり前ですが散らかりにくく、掃除もしやすいです。モノに対する調べ物(値段やどこのメーカーのものがいいのかなど)が減り、買い物に行く頻度も少なくなります。

ご飯もシンプルになりました。できるだけ近隣で取れた材料を選んで買い、献立はご飯と味噌汁と何か一品ぐらい。毎日の料理にかける時間が減り、食材ロスも減りました。

靴を洗ったり磨いたり、服の毛玉を取ったり染み抜きしたり、メンテナンスにも時間をとれています。

なにより、人のモノを羨ましく思う気持ちが減りました。そもそもあまりモノがないので比較してもしょうがないのです。いいなとか、素敵だなと思うことは毎日ですが、欲しいかと言われると違うのです。(とはいえ、たまに欲しいと思うこともあります)

何を取捨選択するかで、自分が見えてくる

モノを処分し出すと、モノの選び方や買い方、失敗の仕方が見えてきて、自分の思考パターンや本来好きだったことに気がつきます。

そうなると、先送りにしていた本当にやりたいことを思い出して行動するチャンス。大切な人に会いに行くとか、学びたかったことにチャレンジするとか。

私はモノと向き合ってから、やりたかったアロマテラピーを学び始めました。会社も転職しました。

まだまだ、ミニマリストでもなければ、失敗も多いし悩むことも迷うこともありますが、前向きに生きるために、定期的にモノを見直しています。今後はデジタルデトックスも取り入れてみたいです。

さて、今日で2月は終わり。いよいよ春です。環境の変化にやられないように、前向きにいたいものです。

Follow me!




ABOUTこの記事をかいた人

夫と子ども3人の家族5人で神戸で暮らしています。 アロマテラピー検定1級、AEAJアロマテラピーアドバイザー。 趣味は寝るコト外で遊ぶコト。 シンプルな生活、エコ、農業、建築や旅に興味あり。 日々のことを徒然と書いています。