災害と、トイレと、漁業と、農業

災害が起こるからそのつもりでおけ、といったニュースをやたらと目にするようになった。

備える、というのはとっても大事なことだと思うけれど、私の場合は、もうなるようにしかならない、と諦めている。小さな子どもと暮らしているので、彼らのことは気にかかるが、それでも、その時に、考えて、できることをやるしかないし、命を落としたり怪我やトラブルに見舞われるのであればそれもまた定めだとも思っている。備えに、終わりはないから。ビビりながら暮らせないから。

そうはいっても、住む空間をそれなりに整えている。
そして、日々、「暮らすとは」「生活を営むとは」ということを考えている。
それが、私なりの備え。

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起こるかもしれない災害の情報に触れると、ドキッとする。心配し、怯える人もいる。

災害時用のグッズを購入した。災害が起こるかもしれないから、電波のつながりやすいキャリアにしておくつもり。備蓄は存分にしている。防災セットを準備している。

このような声を、つい最近も聞いた。

一方で、私よりも達観している人や、楽観的な人もいる。

引っ越せるのに、過去にも被害のあった場所(かつまた起こる可能性が極めて高い場所)に住み続ける。その場所が好きで離れたくない、というものから、大丈夫だろうという考えの場合もあると思う。

「現代においては被災したら縄文時代以下の暮らしになる」といわれている。
(でもこの比喩は縄文時代に失礼すぎるかもしれない。そこには豊かな暮らしがあったのかもしれない。)
飲み水は汲みにいけない、食べるものは採りにいけない。人口が密集しプライベートを保ちにくいうえ、人工的な建造物は崩壊の可能性がある。なんてこと。

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そして私が気になっていることがある。
それは、備え、の中にある、携帯トイレ。縄文時代以下になると言われる暮らしにおいて、必要なことはわかってはいるが、どうも好きになれない。

そもそも、排泄物は本来全て土に還るはず。アスファルトで固め切った街では、そりゃ還るはずもない。

そもそも論として、トイレや下水道のシステムがそもそもベストなものではない気がしている。

汚した水を、化学薬品などを使ってきれいにして、また使う。きれいにしすぎて(もしくはよくない成分が逆に入っている可能性もある?)海に栄養が足りなくなり、魚が減っているとも聞く。

私たちが体に取り入れた抗生物質などが、水に流れ土壌を汚染し、生き物を殺してしまうことも考えなくてはならないと思う。

農薬で虫たちを殺し麻痺させ、その結果回り回って自分に戻ってくる。

全く影響を感じていない?本当に?

ぼっとん便所は臭いから好きじゃない。いい知恵はないものか。

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災害を考えると、トイレのことが気になり、そこから漁業のこと、農業のことまで考えが派生していく。

結局、全てのことはつながっているんだよね。

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ABOUTこの記事をかいた人

夫と子ども3人の家族5人で神戸で暮らしています。 アロマテラピー検定1級、AEAJアロマテラピーアドバイザー。 趣味は寝るコト外で遊ぶコト。 シンプルな生活、エコ、農業、建築や旅に興味あり。 日々のことを徒然と書いています。